ナチス・ドイツが崩壊した1945年 東西ドイツが統合された1990年
2人の巨匠が描く、2つの[ゼロ年]
第二次世界大戦後の廃墟と化したベルリンを舞台に、ひとりの少年を通して戦争がもたらす残酷さを描いたロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)と、ベルリンの壁崩壊の翌年、東ドイツに潜伏していた老スパイの西側への帰還の旅を描いたジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』(1991)。1945年をドイツにとっての《ゼロ年》と示し、戦後ベルリンの"虚無の廃墟"を冷徹に描いたロッセリーニに対し、ゴダールは東西ドイツが統合された1990年を《新ゼロ年》として、ふたたび"虚無の廃墟"にもどされたドイツを見つめ直した。思いがけない、でも必然にみちた2作品の邂逅が今実現する。
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『ドイツ零年』
1948年製作/74分/イタリア
原題または英題:Germania anno zero
監督:ロベルト・ロッセリーニ
配給:ザジフィルムズ
『新ドイツ零年』
1991年製作/62分/フランス
原題または英題:Allemagne année 90 neuf zéro
監督:ジャン=リュック・ゴダール
配給:ザジフィルムズ
上映時間:142分 (74分+休憩6分+62分)
料金:前売 2,600円 当日 3,000円
※当館では『ドイツ零年』、『新ドイツ零年』と2作品続けての上映を予定しておりますが、いずれか1作品のみをご鑑賞いただくことも可能です。その場合、前売料金は1,300円、当日料金は1,500円となります。
『ドイツ零年』(74分)
【10:30 / 14:30 / 19:30】
『新ドイツ零年』(62分)
【11:50 / 15:50 /20:50】
ドイツ零年
ナチス・ドイツ崩壊後のベルリン。病弱で寝たきりの父、警察を恐れて家に引きこもる兄、家計を助けながら父の看病をする姉と、間借りした狭い部屋に暮らす少年エドムントは、父と兄に代わってお金を稼ぐために、学校にも行かず、毎日廃墟のような街をさまよっている。ある日、エドムントは小学校の担任教師だったエニングに街中で出会う。学校を追放され、今は闇商売に手を染めるエニングが説くナチス思想に、無垢なエドムントは次第に感化され……。
解説
ナチス・ドイツが崩壊した1945年=[ゼロ年]
一人の少年を通して描かれる 戦争がもたらす残酷さ
すでに国際的な評価を確立していたロッセリーニが、第二次大戦でほぼ完全に破壊された連合軍占領下のベルリンを舞台に、ひとりの少年がたどる過酷な運命を仮借なく描き出した、『無防備都市』『戦火のかなた』とともに非公式の「戦争三部作」を形成する作品。ロッセリーニが同時代のドイツを主題と選んだ背景には、「同じ人間であるドイツ人が、どうしてこのような大惨事へと導かれてしまったのか?」との問いがあった。1946年、終戦直後のいまだ建物は破壊されたままで、いたるところ瓦礫の山だらけのベルリン。主人公は、12歳の少年エドムント。エドムントの家族が置かれた状況は非常に厳しいものだ。反ナチだった父親は病に臥せっており、働くことができない。元ドイツ国防軍兵士の兄カールハインツは、強制収容所行きを恐れて自宅に引きこもっているため、配給カードを入手することができない。姉エヴァは家計の一助となるべく、毎晩ダンスホールで連合軍兵士たちの相手をして稼ぐことで、己の名誉を汚す危険を冒している。エドムント自身も、家族を飢えさせないよう、必死に仕事にありつこうとする日々だった。そんなある日のこと、エドムントはいまだナチを信奉している元教師エニングとたまたま再会する。この男の「弱者は常に強者に滅ぼされる」との考え方が少年に感化を与え、深刻な事態が引き起こされる……。家族とともにサーカスで曲芸を披露していた当時11歳の少年エドムント・メシュケが主人公を演じるほか、端役を演じる人々は主にロッセリーニが路上で抜擢した非職業俳優である。公開時は賛否両論であったが、ロカルノ国際映画祭で金豹賞および最優秀オリジナル脚本賞を受賞。チャールズ・チャップリンは、本作を「これまでに観たなかで最も美しいイタリア映画」と呼んだ。現在、本作はいわゆるネオレアリズモ映画の最高傑作の一つとみなされている。
新ドイツ零年
前年にベルリンの壁が崩壊した1990年のドイツ。西ドイツ側のスパイとして東ベルリンに30年間潜伏していた諜報員レミー・コーションのもとへ、軍情報部のゼルテン伯爵がやってくる。「すべて終わった」と告げられたレミーは、彼に勧められるがまま、西側への帰還を目指して東ドイツを大きく迂回する旅に出る。トーマス・マンの小説の登場人物を思わせる娘シャルロッテや、ドン・キホーテとサンチョ・パンサなど、様々な人々と出会いながらレミーは西側にたどり着く。
解説
東西ドイツが統合された1990年=[新ゼロ年]
東ドイツに潜伏していた老スパイの“西”への帰還の旅
アメリカ合衆国出身の歌手兼俳優エディ・コンスタンティーヌが、『アルファヴィル』(65)以来久々にゴダールと組んだ作品。最晩年のコンスタンティーヌがここで演じるのは、自身の当たり役にして『アルファヴィル』でも演じたFBI 捜査官(ゴダール映画では秘密諜報員)レミー・コーション役だ。本作の背景には、東欧革命からベルリンの壁崩壊の流れのなかで生じた、1990 年 10 月 3 日の東西ドイツ「再統一」がある。原題では「ドイツ」の語に続いて「90」が数字とアルファベットで綴られているのだが、これはゴダール流のごろ合わせで、「90(neuf zéro)」は「新たな零」とも解釈できる。つまり、1990年とは「新零」年でもあると解することができる。もちろんこれは、ロッセリーニの映画『ドイツ零年』(48)にもひっかけられた洒落で、第二次大戦終結直後にして東西分断直前のドイツ、再統一後のドイツを重ねて、ともに同国にとっての始まり(過去の清算あるいは再生)でもあれば終わり(無あるいは消滅)でもあるような零の年とする意図がうかがわれる。本作は、かつて西側「自由世界」の擁護者だった「最後のスパイ」たるレミーが、長年潜伏していた旧東ドイツから、冷戦体制崩壊と軌を一にして徒歩で「西」へ向かいながらさまざまな象徴的人物と出会う姿を描いた一種のロードムーヴィーである。そこに、『ドイツ零年』からの抜粋映像を含むさまざまな映画、音楽、絵画、文学、哲学をめぐる参照、実在の人物や現実の事件への言及等がぶつかり合い、層をなすように重ね合わされつつ、ドイツの過去と現在をめぐる高密度に圧縮された思弁が展開されていく。そして、老いた元スパイの彷徨がそのままドイツ史を経巡る旅=批評的エッセイとなることで、映画の主題である「孤独」、個人のそれではなく国家や国民の孤独が浮かび上がる。

